こんにちは、さすけです。
高校野球では
私立強豪校が
上位を占めていますが
昔はそうでも有りませんでした。
そんな強豪校が誕生した
時代を振り返りたいと思います。
高校新設の背景
昭和30年代になり
新しい高校が
たくさん誕生しました。
ベビーブームで
生まれた人が
高校進学に差し掛かる時でした。
高校進学率上昇も重なり
生徒数が一気に増えて
高校も続々と
新設された時期でした。
強豪私立誕生
そんな中で私立高校では
学校設立当時から
野球を創部して
地元の有力選手を集めて
野球部の強化が
行われていました。
通学圏内のみで
選手を集める事が
ほとんどでした。
野球留学を
積極的に取り入れた
学校もありました。
野球留学
設立当時から
野球留学を取り入れていたのが
PL学園と東海大相模の
2校が積極的に
野球留学を行い
全国から生徒を集めました。
昭和30年に高校が創立されて
翌年の昭和31年に
野球部が創部されています。
甲子園初出場して
ベスト8まで進出しています。
昭和37年に設立して
高校設立と同時に
野球部が創部されています。
東海大学の附属高校になり
この時点で附属高校だけでも
6校あり全国に
ネットワークを持っていました。
情報が入ってきやすい
環境でもありました。
大部分と言う事は無く
地元選手と野球留学の
選手が混合している印象でした。
本当の野球留学
昭和30年代の
野球留学は
強いチームで
野球に取り組みたい、
そんな思いからの
野球留学が大半でした。
甲子園に出場するための
野球留学が盛んになって
行きました。
有名なのが
鳥取県の倉吉北高校でした。
倉吉北高校は
昭和44年に創部して
昭和50年に
甲子園初出場しています。
ベスト8に進出して
昭和56年選抜では
ベスト4まで
進出しています。
昭和56年のメンバーが
出場登録された15人の中で
13人が関西からの
野球留学生でした。
当時は20校しか
高校野球に出ていないので
甲子園に出場するための
進学になっており
問題視されました。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
高校野球まとめ記事
ランニングまとめ記事
ボウリングまとめ記事
箱根駅伝、ニューイヤー駅伝など駅伝関連まとめ
バスケットボールのまとめ記事