こんばんは、さすけです。
今回は高校野球史上初の
中止となった大会の話です。
中止となった大会
夏の大会の第4回大会で、
大正7年に行われる
予定だった大会です。
事件序章
この当時は
日本は好景気に湧いていました。
近年では好景気を実感出来ない事が多いので
少し羨ましいですね。
好景気過ぎてインフレが
発生して物価が上昇しました。
【インフレ:物価上昇してお金の価値下落好景気で発生】
【デフレ:お金の価値下落、不景気に発生】
一気に値上がりしてしまいました。
そんな中で米価格上昇で困った住人が
米価格を下げてくれと
役場や商店に猛抗議しました。
全国に活動が広がり
ついには、国が軍隊まで出動して
鎮圧していました。
結果としては数万人が検挙されて
大混乱になり内閣総辞職と言う
騒動まで発展していましました。
この事件により
大会中止に
追い込まれました。
中止までの経緯
本大会は中止に追い込まれましたが
予選は普通に開催されていました。
大阪まで集まっていて
大会が開催されるのを
待っている状況でした。
住人が店舗を襲ったりと
危険な状態になっていたため
1度は延期を発表しました。
激しくさを増して行くため
延期発表の2日後に
大会中止を決定する事になります。
幻の出場校
出場する予定だった学校
地域 代表中学
東北 一関中学
関東 竜ケ崎中学
京浜 慶応普通部
甲信 長野師範
東海 愛知一中
北陸 長岡中学
京津 京都二中
紀和 和歌山中学
大阪 市岡中学
兵庫 関西学院中学
山陽 広島商業
山陰 鳥取中学
四国 今治中学
九州 中学明善
以上の14チームが
大阪まで集まりながら
実際に試合が出来ませんでした。
大阪滞在費
主催者により
大阪の滞在費が
選手に支払われています。
太っ腹ですね。
この辺りも好景気が
影響を与えているのですかね。
大会出場チームの扱い
この14チームは試合は行えませんでしたが
大会の通算出場回数にはカウントされてます。
昭和38年に2度目の
出場をしています。
この時は2回目の出場と言われましたが
実質は初出場となっています。
この時が2回目の出場でした。
これ以降に出場は無く
実質1回しか出場出来てません。
色々な事が起こる物ですね。
ちょっと今の日本では
ここまでの騒動が
想像出来ないですが、
出場選手が事件に巻き込まれなくて
良かったですね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。