こんにちは、さすけです。
今回は高校野球と
プロ野球の断絶になった
事件になります。
最終的には
国会で議論されるまでに
話は大きくなったくらいの
大事件になります。
いつ?
佐伯通達から
6年が経過した
昭和36年に
事件は起こりました。
門岡事件とは?
大分県の高田高校に
当時在籍していた
門岡投手が
夏の大会期間中に
プロ入りを表明した事件です。
初戦に敗退して、
地元に帰る途中に
プロ入りを表明しました。
当時の規定
高校野球と
プロ野球の
規定は高校野球を
退部した後でないと、
プロ野球側と
交渉しては
駄目だと言う
規定がありました。
何が問題なのか
敗退した後に
プロ入り表明なら
良いような気がしますよね。
退部後に交渉とあります。
今回は敗退して
すぐにプロ入り発表したので、
明らかに退部前から
交渉しているだろう
と言う事で問題になりました。
門岡選手
地元では
かなり有名な
投手でした。
無名の高田高校に
進学しました。
エース門岡投手の
完全なワンマンチームでした。
3年生の夏の大会で
初出場しています。
エースとして
九州大会に出場しています。
準決勝まで進出して
2安打に抑える
好投しましたが
2安打がいづれも
ホームランで
2-0で敗退しています。
その活躍で
プロ野球から注目を
浴びるようになって
行きました。
3年生夏の大会では
0-5で初戦敗退しています。
プロ入り表明した時の
中日に入団して
通算30勝上げる
活躍しました。
プロ入り表明後
プロ入り表明後は
高野連佐伯副会長が
激怒しました。
対外試合の1年間停止
処分にしました。
国会で議論
1年間の対外試合禁止の
処分後に、
地元の人権擁護委員が
制裁が厳し過ぎると
訴えました。
国会で佐伯副会長が
参考人として
呼ばれました。
高校生がプロ野球と
契約するのは
職業選択の自由であり、
その事が原因で
チームが対外試合禁止は
人権侵害では無いかと言う
問題で議論されました。
呼ばれた佐伯副会長が、
高校野球は
高野連の方針に
賛同する人だけで
開催していると
意見を聞き入ずに
議論は終わりました。
門岡事件のあと
事件後の昭和37年に
プロ野球関係者の
高校球界への
復帰が全面禁止されました。
年数が経過する度に
厳しくなりました。
プロ野球選手が
高校球児に
接触する事も
問題になるようになり。
プロ野球選手が
息子であっても
野球の話をすると
問題視されるくらいに
厳しくなりました。
まさに断絶状態が
この後長く続く事となりました。
最後まで読んで頂きありがとうございました。