こんにちは、さすけです。
今回はドラフトトラブルの
パート2になります。
プロ野球経験者の
アマチュアでの指導は
今でこそ緩和されていますが
以前は完全に遮断されていました。
そんなプロとアマの
トラブルの始まりのような
感じのトラブルでした。
トラブル時期
ドラフトトラブル1でも
書きました空谷事件の
2年後になる
昭和30年に発生しています。
トラブル序章
この年は今でもあります
夏の大会終了後に
高校生の選抜メンバーで
ハワイ遠征がありました。
レベルも高くて、
プロ野球スカウトも
争奪戦を開始しました。
娯楽も少ない時代で
プロ野球人気が
高くなって来たのも
重なった事が、
過激なスカウト合戦に
つながったと言う
側面もあります。
スカウト合戦開始
スカウトの基本である
関係者や両親に札束攻勢で
口説き落としに掛かりました。
全日本宿舎まで来て
豪華な食事でもてなして
勧誘したりしてました。
移動する時に
球団関係の新聞社から
車が出て送迎を
行なったりと
言った事もありました。
お金をプロ側から
何円貰っていると言う
具体的な金額が
出て来るなど、
過剰なスカウト行為が
行われていました。
佐伯通達
行き過ぎたスカウト合戦に
怒っていた、
当時の高野連副会長であった
佐伯副会長が、
プロ野球のスカウトに
注意書を発行しました。
佐伯通達と言われる
物になります。
子供をプロ野球に売って
金儲けをしている。
惑わされて、
プロと契約している
と言ったような
過激な内容でした。
文章はかなり過激だったようで
高野連が手直しして
表現をやわらげた文章が
正式に各都道府県の
高野連に出されました。
トラブル終盤
結局は遠征に参加した
17人中10人が
プロ入りしていて
佐伯通達に
すぐに効果が出ませんでした。
高野連とプロ野球とで
高校生のプロ入りに
対して規定が作成されました。
毎年150人位の
高校生がプロ野球に進んでおり、
その大半が
2~3年で解雇されていました。
駄目ならクビにすると言った、
選手の使い捨ても問題になりました。
プロ野球に入るように
変化して行きました。
アマチュア野球と
プロ野球の溝が決定的となる
門岡事件が発生してしまいました。
最後まで読んで頂きありがとうございました。