こんばんは、さすけです。
今回は、大チョンボ
甲子園の出場を逃してしまった
悲しい話になります。

いつの事?時期は?

昭和31年の出来事になります。
夏の甲子園を目指した
地方大会での
決勝戦で起きた
出来事になります。

昭和31年の大会当時は

北関東単位で
地方予選を行っていました。

そのため栃木・群馬・茨木による

3県で出場枠を
争っていて、
出場枠は1校と言う
厳しい戦いが
行われていました。

対戦カード

栃木県 足利工業
  ×
群馬県 藤岡高校

この2校による

決勝戦で悲劇が
発生してしまいました。

この当時は

両校とも甲子園は
出場した事は無く
初出場を目指していました。

こんな話も有るので
良かったら見て下さい

高校野球のあるあるネタ3敗者復活から史上初優勝

試合展開

足利工業が先行
藤岡高校が後攻で
試合開始されました。

試合は投手戦になり

4回裏に藤岡高校が
1点を先制しました。

その後も投手戦になり

1-0の緊迫した展開で
8回まで終了しました。

しかし、ここで9回表に

足利工業が1点返して
同点に追いつきます。

そのまま9回裏の攻撃をしのいで

延長戦に突入です。

大チョンボ直前

延長14回まで
得点が入らずに
試合が進んでいました。

15回裏に大チョンボ

してしまいます。

藤岡高校が2死ながら

満塁チャンス到来です。

そのチャンスで
見事にヒットを打って

サヨナラ勝ちをしたはず・・・・・
でした。

大チョンボ

この時に1塁走者は
2塁を踏まずに
ベンチに帰っていました。

ここで足利工業の選手が

気が付いて
2塁ベースにタッチしました。

それが審判に認められ

得点取り消しとなりました。

大チョンボ その後

試合は16回に入り
その後、延長21回表に
足利工業が1点を奪い
そのまま逃げ切り
甲子園初出場を決めました。

もう一方の

藤岡高校は
甲子園初出場を逃して
その後も甲子園には
縁が無く出場出来ませんでした。

さらに平成19年に

廃校となり
2度と甲子園出場する
チャンスが無くなってしまいました。

こんな話も有るので
良かったら見て下さい

優勝旗盗難事件

最近のベース踏み忘れ

有名なオリックスの
マレーロ選手による
踏み忘れになります。

確かに踏んで無い

この後、マレーロ選手は
プロ野球10万号と言う
記念のホームランを打った時に、
あの踏み忘れが無ければ
10万号にならなかったと
言われたのは有名ですね。

高校野球の

踏み忘れです。
踏み忘れを
アピールして
1アウトを稼いでいます。

ナイスキャッチャー

野球は観察力が
大事ですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

こんなのも有るので良かったら見て下さい
高校野球の甲子園、名選手伝説6、番長、清原和博選手