こんばんは、さすけです。
今日は番長こと
清原選手の高校時代を
振り返ってみたいと思います。
高校通算成績
個人成績
出場可能な甲子園には
全部出場していて
1年生夏~3年生夏まで
5大会連続で出場しています。
打率4割4分
本塁打13
四死球25
チーム成績
1年夏 優勝
2年春 準優勝
2年夏 準優勝
3年春 ベスト4
3年夏 優勝
凄まじい成績ですね。
出場出来る甲子園大会に
全部出場していて
さらに最低成績でも
ベスト4ですから
本当にすごいです。
野球を始めたキッカケ
家族が野球が好きで
小学生の時に野球を初めています。
毎日小遣いを貰いながら
野球の練習に行っていたみたいですね。
チョット普通じゃ無い理由でした。
普通は長嶋選手に憧れてなんて
理由が普通ですが・・・・・
清原選手は女の子に
モテたいからと言う
理由で野球を続けていました。
結構理由としては
本当は普通なのかも知れないですけどね。
そんなに素直に
発言出来る人ばかりでは無いですからね。
小学生・中学生時代
この頃からエースで4番を打っていて
活躍していました。
投手としての才能もあり
本人も投手が好きだったようです。
9校くらいから誘いがあり
最終的には天理高校か
PL学園かの2択になり
学校に見学に行き
施設の良いPL学園に決めたようです。
高校時代
入学当初は投手を
目指していました。
しかし同期の桑田投手が
投げる球を見て
投手の道は断念しています。
あれだけ活躍していた
清原選手でも
常に競争意識を持っていました。
駄目ならスタメン落ちさせられて
悔しくてまた練習するの
繰り返しをして上達して行きました。
自分より練習していたと言うのが
桑田選手だったようです。
清原選手のマインド
清原選手は
高校時代とプロ野球時代と
常勝軍団で過ごしていて
どんなマインドでいたのか?
2位では意味が無く
1回戦で負けようが
準優勝だろうが同じで
優勝する事に意味がある事が
肌身で感じて理解していました。
ボロカスに言われて
勝てばチヤホヤされるのが
強い集団に身を置いていると
実体験として
理解出来るのでしょうね。
もっと分かり易く
勝てば給料が上がり
2位以下なら給料が上がらない
プロははっきりと結果で出ますね。
しかし強い集団に居ないと
中々理解出来ない所かも知れないですね。
運命のドラフト真実
清原選手とドラフトと
言えば覚えている人も多いと思います。
あの涙のドラフトですね。
思っていた清原選手でしたが
実際にジャイアンツが
指名したのは
チームメートの
桑田選手でした。
そこでの涙ですね。
ジャイアンツから指名されると
考えていたのでしょうか。
最近になって理由を知りました。
球団関係者から
明日は1位で指名すると
連絡があったそうです。
入団後の監督さんの話で
出ていたので
間違い無いと思います。
かなりのショックを
受けていたそうです。
プロ野球は結構ひどい事しますね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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