こんにちは、さすけです。
今回は高校野球の歴史ネタです。
昔の話にはなりますが食料持参して
甲子園に出場した話になります。
いつ起こったのか?
1946年(昭和21年)の
第28回大会の
夏の大会での出来事になります。
その前の6年は大会自体が
中止となっていました。
西宮球場で開催されています。
食料持参
食料持参と聞いて
想像が付くとは思いますが、
戦後の混乱していた時期で
食料にも困る時代でした。
主催者が泊まる所は確保したが
食料が確保出来ませんでした。
食料持参で参加してと言う
お達しが出ました。
こんな状態でも開催しようとする所に
野球熱の高さを感じますね。
心温まるエピソードがあるので
良かったら読んで下さい。
心温まるエピソード
鹿児島商業にまつわる
エピソードになります。
余裕が無いにしても
ある程度食料を集めれた所と
本当にぎりぎりの食料で
参加していたチームが有りました。
米とイモをぎりぎり集めれた量のみで
参加していました。
11-4と勝ち上がりました。
岩手県で米どころでもあり
ある程度余裕のある食料を持っていました。
余った食料がありました。
持って帰れば貴重な食料であるのに
変わりありません。
鹿児島商業に私たちの分までかんばって下さいと
無償で差し上げたと言うエピソードです。
昭和50年に
このエピソードがTVで紹介されると
鹿児島商業から一関一高に
お礼があったと言うエピソードにつながっています。
また別のエピソードもあり
なんと警察に連れて行かれたと言う
エピソードも有りますので
よければどうぞご覧下さい。
球児が警察に連行される
鹿児島商業は少ない食料を
持参して大阪駅に到着しました。
使い古された衣類であったりしたため
あまり綺麗な服装では無く
リュックサックにも食料が入っていました。
若いくせに闇屋でもするのかと
疑われて警察に連行されてしまいました。
疑いが晴れて開放されています。
鹿児島商業の成績
2回戦からの出場で
2戦目の準々決勝で敗退しています。
戦後は米不足のため
収穫された米は国に納めて
国からの配給制度により
国民に配られていました。
配給に回さずに
生活必需品と米を
物々交換していました。
闇屋と言いまして
もちろん違法な行為になります。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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