こんにちは、さすけです。
今回は背番号が採用されたのは?
満塁策を初めて実施したのは?
アルプススタンド名前の由来は?
以上の3本立てです。
背番号採用
当時の背番号
今ではお馴染みの
野球の背番号ですが
昔は無かったの知ってましたか?
初めて採用されたのが
春の選抜大会の
第8回大会(昭和6年)に
初めて採用されました。
採用された番号は
ピッチャー 1番
キャッチャー 2番
ファースト 3番
セカンド 4番
サード 5番
ショート 6番
ライト 7番
センター 8番
レフト 9番
控え選手はポジション関係無く
番号を割り振ると言った感じでした。
現在と全く同じ番号で
割り振られており
現在まで変更されて無い事が分かります。
採用された理由
スタンドから選手が
誰なのかが分かりやすくするために
採用されたと言われています。
名前が無いと
見慣れたチームでも
誰か分からないので
背番号は大いに
役に立っていると思います。
背番号廃止
今となっては理由がはっきりしませんが、
数年後には一度背番号が廃止されています。
理由は全くの不明です。
夏の大会の
第34回(昭和27年)で
背番号が復活しています。
翌年からは選抜大会でも
背番号が復活していて
以降は廃止される事が無く
背番号が使われています。
背番号が無かったら
違和感が大有りですけどね。
それ程までに
背番号が当たり前のように
馴染んでいますね。
満塁策発見
今でこそ良く見る
満塁策ですが
1番最初に満塁策を発見したのが
福岡中学と言われています。
夏の大会の第13回大会(昭和2年)と
言われています。
1アウト3塁となった所で
2者連続で
フォアボールを与えて
1アウト満塁にする
作戦を実施したのが
最初と言われています。
作戦は成功しましたが、
試合には負けてしまいました。
アルプススタンド名前の由来
名前の由来は
色々な説があり
はっきりとは分かりません。
登山家の藤木九三さんが
スタンドを見て
アルプス山脈を
連想した事から
名前が付いたのが
1番有力とされています。
漫画家の岡本一平さんが
甲子園を題材にした
漫画を描いた時に
アルプスと言う名前で
スタンドを表現して
根付いたと言う説もあります。
正確な事は分からないですが、
見た目がアルプス山脈を
連想させたのが
由来なのは間違い無いですね。
誰が最初かは不明です。
最後までお読みいただきありがとうございました。