こんばんは、さすけです。
今回も箱根駅伝の色々ハプニングを
書いて行きたいと思います。
ハプニング集11弾です。
今回は全部1995年(第71回大会)での出来事です。
無念10区リタイヤ
アクシデント1
1995年(第71回大会)
順天堂大学で起きました。
この日は7区で順位を
1つ落として4位となりましたが
10区アンカーの2年生浜野選手まで
4位をキープしたまま
タスキをつなぎました。
スタートした浜野選手は
7km付近でペースダウンして
14km付近では走れないくらいの状態でした。
そこで駆け付けた監督の判断にて
リタイヤになりました。
順天堂大学は、このリタイヤにて
32大会連続のシードが切れてしまいました。
なんと19年振りのリタイヤと言う
不名誉な記録でもありました。
前兆は有りました。
浜野選手は
練習にて足に違和感を訴えており
レントゲンにて3度検査して異常発見されずに
選手も大丈夫と言う事での出場になりました。
不安はあったのでしょうね。
リタイヤ後に病院にて検査して
脛骨(けいこつ)の疲労骨折が判明しました。
(脛骨とは、すねの事です)
2年生でインカレのハーフマラソンにて
優勝して期待されている選手でした。
そんな中でのリタイヤでしたので悔しかったでしょうね。
翌年の3年生ではエース区間の2区で出場しましたが
この年は区間13位と成績を残せなかったのですが。
4年生では9区を走り
区間新記録を作りリベンジしています。
アクシデント2
アクシデントがありました。
残り数キロで
吐き気に見舞われて
走れない状態になり
なんとかゴールしたものの
区間1位と14分差がついてました。
最下位の14位と
挽回出来ませんでした。
(この年は参加15チームで棄権1チームのため完走14チーム)
マッチレース
1995年(第71回大会)
首位争いでも壮絶な争いが有りました。
山梨学院大学と早稲田大学との争いで
3区からは1位と2位を入れ替わりながらの
まさにマッチレースとなりました。
往路で両チームとも勝負をつけようと
有力選手を出し尽くしましたが
勝負がつけれずに
復路勝負になってました。
強気な勝負に出れた事でした。
山梨学院大学は9区と10区に
練習タイムは良いが
本番になると、イマイチ結果を残せていない
2人を起用していました。
しかし監督の心意気の答えて
2人とも強気の勝負に出て
見事にレースを制しました。
最後まで読んで頂きありがとうございました。