こんばんは、さすけです。
今回もハプニング集8弾でお楽しみ下さい。

2度の代役

2000年(第76回大会)
この年の9区を予定していた
主将が発熱のために
出れなくなり
代役として3年生の
尾池選手が出る事になりました。

この選手は1年生の時にも代役

エース区間の2区で出場しており
2回目の代役での出場になりました。

結果は飛ばし過ぎて

スタミナ切れを起こし
区間12位とあまり良い成績を残せませんでした。

1年生の時の代役出場でも

順位を落としており
代役出場では2度とも成績を残す事は出来ませんでした。

しかし、この話には

続きがあり尾池選手は
4年生になり主将に任命され
箱根駅伝では9区に出場して
見事区間5位の成績を残し
箱根駅伝リベンジ成功しています。

プラス思考

1999年(第75回大会)
この年に超プラス思考
好成績を収めた選手の話です。

神奈川大の6区中沢選手は

3年生の時に6区で
区間新記録を達成して
チームの優勝に貢献しました。

そして最終学年の4年生になり

去年の自身の記録を更新する事を
目標に定めました。
しかし不運に見舞われてしまいました。

なんと箱根駅伝の2日前に

足を痛めて走れない状態になってしまいます。
ここで針治療を行った所
痛みが無くなり出場するまでには
たどり着きました。

そして出場した6区にて

数キロ走った所でまたもや
不運に見舞われてしまいます。
腕時計のバンドが切れて
落下して自分でタイムが確認出来なくなってしまいます。

4年間使い続けた時計だったので

縁起悪いと一瞬は考えたのですが
ここで考えを変えて故障した
足の代わりになってくれたんだと考えて走りました。

また時計も無いので

ペース配分もわからないので
行ける所まで行こうと考え
前半から飛ばして行き
2年連続の区間新記録でゴールしました。

中沢選手は卒業後は

陸上以外の事に
取り組みたいと言う思いから
この日が陸上競技での
ラストの走りになってしまいました。

この何が起こっても

常にプラス思考で有り続けられる精神力と
実力的には日本の陸上界で活躍出来るレベルに有りながら
きっぱりと引退出来る潔さがカッコいいですね。

本当に追い込まれた時に

プラス思考になるのは難しいので
見習いたいですね。

駅伝の色々な記事も有るので良ければご覧下さい
駅伝まとめ記事

あきらめない気持ち

1998年(第74回大会)
この年の中大の主将石黒選手の話です。
彼は高校時代から陸上競技を始めて
大学で箱根駅伝を走りたいとの思いから
中大に進学しました。

しかしケガの影響も有り

満足な成績が出せずに
3年生の時にマネージャーになりました。

しかし箱根駅伝に出場したい思いが強く

マネジャーの仕事を終えてから
1人で練習を続けていました。

そんな時に1万mで自己新を更新して

出場出来るぎりぎりのレベルまでは来ました。
チームメイトも監督も1番がんばっていたのを
見ているため最初で最後の箱根に出させようとなり
8区で出場出来る事になりました。

結果として順位を上げる事は出来なかったのですが

下げる事もなくタスキを繋ぐ事が出来ました。

努力を続ける事は

大変で辛抱強くないと出来ないですが
続ければ結果が付いてくる良い例ですね。

努力が全部報われるわけでは無いので

継続する事が大事ですね。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

ハプニング集続きも有ります
箱根駅伝のハプニングや珍場面9、リベンジ、交通事故