こんにちは、さすけです。
今回は沢村選手と同時期に活躍した
楠本保選手についてです。
あまり知られていないですが
甲子園ではかなり活躍した選手です。

剛腕投手誕生

兵庫県明石市で誕生しています。
魚住第2小学校の
在学中に野球を初めており
小学生の時から
剛腕投手として
名を馳せてました。

甲子園出場記録

明石中学に進学していまして
甲子園には在学中の
4年間(昭和5年~8年)の間に
6回甲子園に出場しています。
学制改革前のため
4年間甲子園に出場出来ました。

昭和5・6年は

あまり活躍出来てなく
記録も正確な数字が
残っていないです。

こんなのも有るので
良かったら見て下さい

高校野球のあるあるネタ1、太田市長抗議、選考基準は?

昭和7年春

昭和7年から活躍しており
この年の選抜大会では
初戦で3安打完封で
との時点では史上初となる
全員奪三振を記録しています。

決勝では松山商業に敗れた物の

5試合で39イニング投げて
49奪三振を奪って
剛腕を発揮しています。

昭和7年夏

夏の大会でも大活躍しており
3試合連続完封して勝ち進み
準決勝で春の決勝にて敗戦した
松山商業と対戦しました。

この試合でも好投して

17奪三振を奪うも
エラー絡みで3失点してしまい
敗退しています。

通算奪三振は

4試合36イニング
64個を記録して
当時の大会通算の
三振数の記録を作っています。

この記録は今では

坂東選手に破られてしまいますが
坂東選手が62イニングで
奪三振83三振のため
三振率で言えば
楠本選手の方が高いです。

この年の春と夏の通算では

113個の奪三振を記録しており
通算記録では
現在も破られていない
記録として残っています。

昭和8年春

初戦の平安中学を
3安打18奪三振と勝ち上がり
2回戦の浪華商業との試合では
中田投手との継投で
4-0と危なげ無く勝ち上がっています。

準々決勝では

天才沢村栄治と投げ合って
2-1と勝利しています。
準決勝でも好投して
中京商業を3安打完封しています。

自身2度目の決勝では

岐阜商業と対戦して
3安打には抑えたが
8回に1失点して
敗退しており
2度目の準優勝しています。

天才沢村栄治選手の伝説も有ります
高校野球の甲子園、名選手伝説3、天才、沢村選手

昭和8年夏

最後となる大会では
初戦の慶応商工を
3安打16奪三振で勝利して
2回戦の水戸商業では
ノーヒットノーランを達成して
勝利しています。
続く準々決勝では
中田投手との継投で
勝ち上がり
準決勝の中京商業戦では
不調からライトでの出場で
試合は延長25回までとなりましたが
投手としての出場は無く
チームは敗退してしまい
剛腕投手としての
甲子園に幕を閉じています。

その後

大学に進学して
キャプテンを務めるなどして
野球を続けていましたが
途中からは野手に転向しています。
社会人になってからも
野球を続けており
野球が好きな事が伝わります。
最後は国による争いに
巻き込まれて
中国にて亡くなっています。

こんなのも有るので良かったら見て下さい
高校野球の甲子園、名選手伝説5、甲子園最強投手、嶋清一選手

最後まで読んで頂きありがとうございました。

過去の歴史やあるあるネタなど色々あります。